心と体

エッセー★第十四話★ノー・パンの着物史「着物と女体と生理」

 昔人の着物は、パンツをはいてないから卑猥(ひわい)。そう現代人はイメージする。でも、それってほんとうだろうか? 

 毎日を腰巻ですごしてみれば、着物が色気で卑猥で淫乱というイメージは、じつは、どんどん薄らいでいく。かえって、パンツを穿いていることのほうが、卑猥な感じさえする。

 ――発想の逆転。

_1  腰巻は、じつにしっかり骨盤と太腿を締め付ける。だから風が吹いたとて、それがめくれあがることなど、ありえない。キュッと〆た腰巻の中に、手をさしのべるには、アソコに到達するまで、かなり時間を要す。ミニスカやスリットのスカートのほうが、アソコまでの道のりは、ずっと単純、速攻ともいえる。

 ノー・パン腰巻。かえって警戒心が強くなり、油断することがない。パンツを穿(は)いているときは妙な安心感があって、油断して歩く夜道も、『腰巻女』ともなれば警戒心をみなぎらせ、男を寄せ付ける隙などなくなる。(これが、日々が『腰巻女』の素直な感想である。ハンパが嫌いな私は、完全昔人の着物ライフなのだ……と言いたいが、じつは酷いゴムアレルギーで化繊アレルギーで、その対処作として、昔人の着物ライフに行き着いたまでにすぎない)

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 着物、イコール卑猥、淫乱……なんか違う。それって、現代人の妄想かもしれない。

Lastscan_1  たしかに、日本人は古来から、SeXを開放的に明るく受け止めてきた。着物は、その日本文化のベースとなった。文明開化前――西洋思想が入る前までの日本人は、SeXを否定しなかった。オナニーでさえ、人間の営みの一部とそして、大らかに受け止めて楽しんだ。その日本文化に育まれた着物は、とってもルーズな衣類。紐一つで、どうにでもなる、自由で柔軟性のある衣類だ。(←写真は明治末期~大正初期に祖父が撮影したもの)

 しかし、紐を解くにも、裾を開くでにも、腰巻の中に手を差し入れるにも、そこに強い意志が働かなければならない。それが着物なのだ。女と男の間に、充分なコミュニュケーションがあって、はじめて淫靡な行為が成立する。奥身があり、袖があり、何枚も重ねて着る、そして帯をグルグル巻く。そういう着物の女が男と肌を合わすには、それを受け入れ許す「女の意志」が必要なのだ。そうでない場合には、時代劇に観るような、SMまがいのシーンが出来上がる。

 現代人が、昔スタイルの着物ライフで最も不思議なこと。それは、月経のときどうするかということだ。

 昔女はフンドシをして、しのいだのだ。今でいうT字帯。手術直後など、医療の現場にかぎり現役選手だ。

 昔女は、フンドシに当て物をして、生理をしのいだ。当然、当て物がずり落ちぬよう、女は格別、太腿を締めて、内股になった。着物の「女らしさ」は、こんなところからも生まれたのだろう。さもなくば、和紙を丸めたものを挿入し、一時的にしのいだのだろう。(これは、遊女がしばしば避妊手段と信じて使用した手である)ヨーロッパでは、海綿を挿入した(古典的タンポン)。このヨーロッパ式は、粘膜に優しく、水洗いで繰り返し使用でき、自分のカラダで何が起きているのか熟知することができて、きわめて合理的。まァ、いずれにしても、外に出て活動するには、不向きな素材ばかりともいえる。女は女らしく、そう思い知らされる、それが古典的生理用品の数々である。

 ルーズで自由な衣類。女をますます女らしく見せ、けれども女としての警戒心をわきまえさえ、男を許すにも、強い意志が必要な衣類。そこまで完成された伝統の衣類を、単に卑猥なイメージで受け止め、にもかかわらず補正下着とルールで、がんじがらめにし、みせかけだけ美しく、人前で脱げない衣類にしてしまった現代人。どこか可笑しくないか……?

_1_3 いま、「浮いてしまった」着物を、本来の姿に戻してあげたくて、腰巻女は、今日も眠気と戦いながら、エッセーを綴るものである。

★本エッセーは、るりはの性科学ブログ『猫も知らない女のカラダに』の掲示板である・るりは掲示板に書きこみいただいた質問をもとに綴ったものです。(↑それぞれ赤文字をクリックするとリンクします)

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第十三話・現代着物考「ココロを飾るか?カラダを飾るか?」

 着物が、私にとって、まだ日用品でないとき。着物は、取り澄まして、気取ったものだと思った。とにかく綺麗に着飾る、華やかに振舞う。それが着物だと思った。そして厳格なルールに守られた伝統の衣装だと思った。

 けれども、それらは、すべて思い込みにすぎなかった。

Img_6816_1  着物をクシャクシャになるまで着たこともない、ほころびるまで着たこともない、シミがつくまで着たこともない、着物と正面から向き合ったことのない人間の思い込みにすぎなかった。(写真/古瀬惠一)

 うわべが綺麗ならそれでいい。見てくれが優先。そのために、厳格なルールを守る。着づらくても、着付けに時間がかかっても、着心地悪くても、表面が綺麗ならそれでいい。我慢しながら着るもの、忍耐が要る衣類、それが着物だって、そんな風に周囲の人々が私に印象づけた。

 ルール? 誰が決めたの。知識? 何を、いつの時代を基準に知識というの?

 着物は何世紀にも渡って歴史がある。その着物を、この半世紀に作られたにすぎない、学校や呉服屋が掲げたルール、それが全てで、それが正しいように広めてしまう。正しいこともあろう、でも、それが全てではない――これも正しい。

 たしかに、そのルールを広めれば、物は売れるだろう。「この器具をつかってこう着付けねばならない」「この季節にはこれがなければならない」「ここの巾は○×センチなければならない」「ならない」に拘束され、個性と実用性を喪失していった着物。

 着付け一つにも個性があっていい。袖巾一つにも自分の好みや、生活様式に応じた、自分なりの長さがあっっていい。むしろ、それがあって、はじめて「生きた着物」実用品だ。

_1  着物はけっして古典芸能ではない。能や歌舞伎のように、保護され進化をやめた、化石的な文化ではない。着物は衣類だ。衣類は、生きた人間が袖を通すもの。着物も生きて、進化しなきゃ、衣類じゃない。

 着物はルーズで、柔軟性があって、個性がある衣類。「テキトー」に、「あんばい」よく、「そのときそのとき」で、着付ける実用的な衣類だ。

着物を「ならない」で縛り付けるのはいったい誰? 

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第七話☆カランコロン♪下駄のお話

_1カロンコロン、ゲゲゲの奇太郎じゃないけれど、下駄には響きがあります。だから猫も下駄が大好きです。

久しぶりで、草履じゃなくて下駄を履いたとき、どうしようかと思いました。ペッタンコの板。そこに歯がついている。これがホントに履物なの? これでどうやって歩けばいいの? 異次元の世界の履物だと思いました。昔の日本人ってスゴイと思いいました。

足がまっ平になって、すごくみょうちくりんで、草履のように歩くと、うまく前に進めませんでした。でも、軽くて足が楽でした。そして、一日履いてみたら、なんだか腰が軽くなっていました。いつもなら重くてドンと痛い腰が、いくぶん楽になっていたのです。不思議な感触でした。

下駄に慣れてみれば、写真のような千両下駄より、二枚歯の下駄の方が、歩きやすくなりました。はじめの頃と、反対になっていたのです。下駄には下駄の歩き方があって、太腿を調子よく上げて踏み降ろす、その歩き方が身についてみれば、二枚歯の下駄のほうが快適に歩けるのです。

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下駄は足が自由です。靴のように、履物に足を合わせるということは、ぜったいありません。四方が囲まれた靴は、足を大きく束縛します。だから、急に靴を履くと、靴に脅迫されているみたいで、落ち着きません。

着物も自由です。紐で調節して、自分で形を作る。洋服にカラダを合わせて、ギュッとお尻の肉を詰め込むなんてことはありません。下駄も着物と同じです。とっても自由です。大きさも、大雑把です。とってもルーズな衣類で履物。それが着物と下駄です。それが昔ながらの和服です。

いつの間にやら、着物は、堅苦しくて、面倒な衣類になってしまった。とっても残念です。こんなにルーズで自由、ラクチンでイイカゲンな衣類なのに。こんなにリラックスできる、日本人のための日本の衣類なのに……。

そう、下駄で腰痛が緩和されたけど、ほかにも効用はあると思うのです。下駄の歩き方を覚えると、太腿が引き締まってくるように感じます。まさか、太腿の太さをメジャーで測ったわけではないので、あくまで「気がする」だけですが、それでも、登山のときに、坂道が楽に歩けるようになったのも、下駄を毎日の履物にしてからなのです。

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