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るりはの着物小説劇場・第三話『約束』

第三話『約束』

(前回までのあらすじ)

 着物の袖とサンドイッチの縁”◎э◎)“で知り合った男。

 その男は、佐織がいた喫茶店で、女と別れのシーンを展開した。そして佐織の前から、忽然と姿を消した。

 佐織は、その男のことが胸にひっかかって仕方なかった。ハンサムだったから……ということは別にして、記憶のどこかで、会ったことがあるような気がしてならなかったのだ。 

 気になるその男の職業は、なんと私立探偵だった。

 私立探偵といったい何処で会っているというのだろう……と、佐織は、ますますその男が気になった。

第一話『袖振り合うも恋の始まり?』を読む⇒ここをクリック

第二話『別れの寸劇』を読む⇒ここをクリックしてね

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第三話『約束』 

 佐織は、2DKの自室に帰ると「ただいま」と言った。

 返事が戻ってくるわけなどなかったが、それが、いつもの癖だった。

 郵便物をテーブルに置いて、DMのハガキを眺めながら帯をといた。

 足元に、ポトリと紙切れが落ちた――名刺だった。

 さきほどの男の名刺だった『私立探偵・太田蘭歩』

 喫茶店で、女に別れ話を持ちかけられた男。その心境はどんなものだったのだろう……。

 佐織は、襦袢一枚になったまま、しばらく空を眺めていた。バルコニーの窓に映る、小さな空だった。ちぎれ雲が、一つやってきた。

 ぼんやりと雲を眺めながら……電話をしてみたい衝動にかられた。

『でも……』

 男に電話をする理由など、何も見つからなかった。

 着物が汚れていたら申し訳ないというので、手渡された名刺。いっそのこと、着物がトマトケチャップでべったり汚れでもしたなら良かったのに……と思った。

 その自分に、クスッと笑った。そして、『理由なんていらない』と呟いて、携帯電話を手にした。

 思った通り、留守電だった。

 それに胸を撫で下ろして、電話を切った。 

_1  脱ぎたての着物を、洗濯機に放り込んだ。手洗いモードにし、液体洗剤を入れて、蓋を閉める。気に入りの絣着物だった。藍色で汚れも目立ちにくく、なにしろ木綿だから洗濯ができてしまう。

『これが絹の着物だったら……今頃、私はあの男と……』と、妙な連想をする自分に、舌をちょこっと出した。

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 お日様の匂いがする。佐織は、今朝、先に干した着物を取り込みながら、そう思った。

 木綿着物は、洗って風にさらすぶんだけ、織が引き締まり、シャキッとする。その点、ジーパンによく似ている。染料が馴染んで、微妙な色合いになることも、ジーパンと同様だった。

 アイロンをかけようと、干し上がった着物を広げたところで、携帯電話が鳴った。

「お電話いただいたようですが?」と言う声の主――あの男だった。 

「あ、わざわざすみません。私、あのォ、着物でサンドイッチで、こぼして、その……」もっと上手く喋れないものかと焦ったが、言葉が出てこなかった。

「ああ、あなたでしたか。その、お、お着物、異状ありましたか? ほんとうに不注意で、そのォ……」男も、つられたように歯切れが悪くなった。

「いいえ、着物は、今、洗っているところです……木綿の着物でしたから、大丈夫で」

「ああ、なら、良かった」

 しばし無音。用事もないのに電話を入れ、それで返信があったのだから、容易に言葉が出てくるわけがなかった。

 それを察したように、男は言った。

「袖擦り合うも多少の縁と言いますから、どうです、今度、一緒にお茶でもしますか?」

 佐織は笑いをこらえた。探偵ともあろうものが、諺(ことわざ)を言い違えるものか? そう思った途端に、言葉がスラスラ出てきた。

「それを言うなら『袖振り合うも他生の縁』でしょ。まぁ、着物を着る人も減ってしまったので、言い違えられても当然のなりゆきですよね。いいですよ、お茶、しましょう。あの喫茶店なら、私、毎日通ってますから」

「そう、明日は何時くらいに行ってますか、そのコーヒー店?」

「たいてい三時です。遅めのランチ、それが例のサンドイッチです」

「わかりました。では、明日、三時くらいに。昼飯抜きで出かけましょう」

Img_4428  電話を切って、これは面白い展開になったかも? と、胸を弾ませた。彼氏いない歴半年、だから男日照りが続いている、それで胸がトキメク? いや、そんなことではなかった。何か見えない力が自分を引き寄せている、そんな気がしてならなかった。

       ※ ※

 今日という日は、木綿ではなくて、絹地の着物に袖を通そうと、箪笥の中を探った。たとう紙に収納した正絹着物が、まさしく箪笥の肥やしとばかりに、保管されていた。

 目に鮮やかな黄色の地に格子が入った、黄八丈にしようかと悩んだ。けれども、なにかピンと来なかった。次に、レンガ色の真綿紬はどうかと、着姿を思い浮かべた。でも、まだしっくり来ない気がした。

 最後に引っ張りだしたのは、アンティーク物の桜色の着物が入った、たとう紙だった。目立ったクスミもなく、淡い桜色が変色もしていないことは奇跡に等しいと思った。おそらく古着屋なら、現代着物より、ずっと高価に取引されるのだろう。母親の実家の土蔵に眠っていた着物だった。取り壊すというので、物色しに行って見つけた着物の一つだった。誰のために仕立てた着物なのか、それを知る曾祖母は、とうに亡くなり、祖母に訊ねてみても「さあねェ」と言うばかりだった。

 とっておきの着物を、例の古びた喫茶店に着てゆくことも、キャベツとオムレツとケチャプをたっぷり挟んだ、トーストサンドを注文することも、清水の舞台から飛び降りるようなものだと思った。だからと、しばし迷ったが、どうしてもその桜色の着物がふさわしく思えて、決心をした。

 いつもより時間をかけて着付けて、静々と喫茶店に向かった。着物は着物であって、いつもと変わらぬはずなのだが、どうも、別の自分が歩いているような気がしてならなかった。

 三時十分前に店に入ったのだが、すでに男――太田は、椅子に腰掛けて、新聞を読みふけっていた。

「あの……太田さん……」佐織はそっと声を掛けた。

「ああ、この間はどうも」

「いえ、こちらこそ」

「この間と、かなり感じが違ってますね。今日も、また着物がよくお似合いですね。ウン、紺色もいいが、桜色も格別です」

「ありがとうございます。箪笥の肥やしに袖を通してきたまでです」

 当たり前のような、でもちょっと照れくさいような挨拶を交わした。そして、遅いランチにしましょうと、お互いともサンドイッチとコーヒーを注文した。

 半ば食べ終わった頃に、太田が言った。「この間は、醜態をさらしてしまった。聞こえていたでしょう一部始終が」

「ええ、小さな店ですから、それは……」

「いや、いいのですよ。振られるのに慣れてしまって、今さらって感じですしね」

「そんな、悪いのは太田さんじゃなくて、女の人でしょう、浮気するなんてヒドイ」

「いいや、浮気は、浮気したほうよりむしろ、させたほうが悪い」

「それはどうして? あの人が好きで未練があるから、ついかばってしまう?」

「いいや、違う。僕の仕事が仕事だから、ろくすっぽデートもしてやれなかった。ほったらかしにして、浮気されたとしても、文句を言う権利はないと思っています」

「そんな……私なら、それだって浮気なんてしないわ……」と、言ってから、佐織は「ああ」と小声を漏らして、襟合わせを指で直した。そして「今日は時間、大丈夫だったのですか?」

「頑張って都合をつけましたよ。せっかくのご縁ですから、せめて一緒に珈琲を飲む時間を作りたいと、仕事を二番目にしてスケジュール調整しましたよ」

「ホントかしら? まァお世辞半分でも嬉しいです」

「いいや、お世辞を言える質じゃないので。でも、残念ながら、この後、四時半に顧客と約束がありましてね」

「なら、もうじきってこと?」

「ええ、だからですね、どうです? 来週の木曜、まるっと一日休みを取れるかもしれないので?」

「来週の木曜? 一日?」

「ダメですか?」

「いいえ、大丈夫。いいです」

「よかった!」

「でも、何をします?」

「そう、お昼に待ち合わせをして、どこか洒落た店で、ゆっくり食事でもしましょう。その後のことは、その時に考えるってことでは?」

「いいです。でも、どこで食事を?」

「ウーン、着物が似合う店がいいな……どこか考えておいてください。決まったら、名刺のアドレスにメールをください」

「ええ、そうします」

「ひとつお伺いしたいのですが」

「なにか?」

「まだ名前を聞いてなかったのですよ」

「ああ、そうでしたか、佐織です。宮元佐織といいます。私は名刺を持ってないので、後でメールします。そこに名前と自己紹介入れます」

「そりゃいい、楽しみにしてます」

(次回更新に続く)Img_26882_1

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著者:岩崎 るりは

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